スポーツ選手の横顔

スポーツで活躍している選手の横顔に迫ります

全英オープンゴルフ 2016 日本人選手

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おめでとうございます。
今期初優勝、谷原秀人プロ。
昨日最終日を迎えた長嶋茂雄インビテーショナル・セガサミーカップで、トータル14アンダー、2位に2打差で優勝、賞金は3000万円というビックボーナスを獲得しました。

全英オープン出場に向けて、とてもいい励みになりました。これで日本人選手にも火が付いて必ずやいい成績をもたらしてくれると信じています。

さて、全英オープンはゴルフの最高峰ですが、リオ・デジャネイロ・オリンピックでも

ゴルフが競技種目となっています。各国各2人の男女枠を目指して、日本国内でも出場枠獲得争いが続いていますが、ここにきて出場を辞退する選手が相次いでいます。

日本人選手でも、一位の松山英樹が出場を辞退することになった。
インタビューでも答えていますが、ジカ熱と治安の悪さが問題でした。

リオ・デジャネイロ・オリンピックのゴルフ開催コースは、こんなところ。

sokuho.alba.co.jp

これにより、二人の日本人候補は、次点の池田勇太と3位の片山晋吾となるだが、先週優勝した谷原秀人も、指名されても出場しないことを明らかにした。

世界各国でも出場辞退選手が相次いでいる。

オーストラリア:アダム・スコット、スコット・デイ、マーク・リーシュマン。
北アイルランド:ローリー・マキロイ、クレアム・マクドゥエル。
南アフリカ  :ルイ・ウーストハイゼン、ブランデン・グレース。

などは、出場辞退を早々と決めている。

一方で、リオ・デジャネイロ・オリンピック出場に意欲満々の選手もいる。女子プロの渡辺彩香だ。彼女いわく「ジカ熱なんて治らないわけじゃないのに、それだけで出場をあきらめるなんてもったいないことできません」

ジカ熱と治安の不安から辞退する選手が多い中、なんとも刃切れのいいコメントではないだろうか。


リオ・デジャネイロ・オリンピックは、いわゆるアマチュアの最高峰の大会。とわいえ、競技によっては金メダル獲得のためプロの出場が当たり前となっている昨今、今度は逆にプロから見捨てられるはめになるとは、オリンピックの金メダルももはや最高峰の名誉とはいかないのか?

頑張れ日本!
(画像転載:日本ゴルフツアー機構

全英オープンゴルフ2016 ロイヤル・トゥルーン

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全英オープンゴルフ2016の開催が近づいてきましたね。

今回の開催は、名門ロイヤル・トゥルーンゴルフクラブです。
ロイヤル・トゥルーンゴルフクラブは、ロンドンの北西600km、スコットランドグラスゴーから南西に50kmの海岸線に作られたリンクスです。創業は1878年
しかし、今から約130年前に、このスコットランドの地で、しかも冬には極寒となる地でゴルフが行われたというのですから、凄い話ですよね。

全英オープンは、1860年にプレストウイックゴルフクラブで開催されました。参加者はわずか8人、12ホールのコースを3ラウンド、計36ホールでのストロークプレイでした。
優勝者はウィリー・パーク、優勝スコアは174でした。優勝金額はゼロ。
当時の方々は、何を持って大会を運営していたのでしょうかね? 好きな人が集まってただただ楽しんでいたとしか考えられませんが、それがこんな大会になると夢見たことがあったのでしょうか?


全英オープンの開催は、リンクスに限ると言う決まりがあるようですが、戦後は、セント・アンドルーズ、ロイヤルリザム&セントアンズ、ロイヤルトゥルーン、ロイヤルセントジョージス、ロイヤルバークデール、ミュアフィールド、ターンベリーの7コースの持ち回りで開催されていました。

最近では、これにカーヌスティとロイヤルリバプールが加わり、 ローテーションに加わることになりそうです。また、2019年には新しくロイヤルポートラッシュ(北アイルダランド)での開催も決まっています。

   

さて、このロイヤル・トゥルーンゴルフクラブでの開催は今回で9回目、前回の開催からは12年空きましたが、過去には様々な名勝負が繰り広げられてきました。

1982年のロイヤル・トゥルーンゴルフクラブでの開催では、倉本昌弘の4位が日本人選手の最高位です。

今回は有名なホールである8番123ヤード・パー3でのエピソードをご紹介しましょう。

1950年の全英オープン、ドイツのアマチュア、ルマン・ティッシーズは、バンカーを11回行き来します、12オン3パットの15を叩くことになります。歴史上最多打数として残っている記録です。

1973年の全英オープンでは、アメリカのジーン・サラゼンがホールインワンを、翌日にはチップインバーディーと2日間で3打という快挙も打ちたてています。

 8番ホールはこんな感じです。(ROYAL TROON Golf Club HPより引用)

 

さて今回は日本人8人が挑みます。

松山英樹
宮里優作
池田勇太
塚田陽亮
小平 智
市原弘大
今平周吾
谷原秀人

日本人メジャー初制覇!期待しています。頑張れ日本!

全英オープン 2016 ウインブルドンの優勝賞金 

f:id:prosports:20160701190836p:plain(AP通信)

おめでとうございます。

見事、我らが錦織圭、無事二回戦突破です。第一セットは最後の最後でブレイクされて逃してしまいましたが、その後は難なく勝てました。

ウインブルドン三回戦は、No2コートの第三試合。第一試合が本日19時スタート(日本時間)だから、本日の深夜から明日の朝になるかなというところです。
三回戦の相手は、アンドレイ・クズネツォフ(42位)との対戦となります。過去の対戦は、一勝一敗で、その一敗も錦織圭の途中棄権でした。サーブの強力な選手ですが、安定性に欠けるため、まあ問題なく勝てるでしょう。

さて、気になるのが、優勝賞金ですが、男女ともシングルスの優勝賞金は、バカ高いのがウインブルドンです。

優勝賞金の推移を見ても、この10年で約3倍弱、5年間で2倍にまで膨れ上がっています。(単位:ポンド)

1989年 男子 19万     女子 17万1000
1990年 男子 23万     女子 20万7000
1991年 男子 24万     女子 21万6000
1992年 男子 26万5000     女子    24万  
1993年 男子 30万5000     女子    27万5000
1994年 男子 34万5000     女子    31万
1995年 男子 36万5000     女子    32万8000
1996年 男子 39万2500   女子   35万3000
1997年 男子 41万5000     女子    37万3500
1998年 男子 43万5000     女子    39万1500
1999年 男子 45万5000     女子    40万9500
2000年 男子 47万7500     女子    43万
2001年 男子 50万        女子    46万2500
2002年    男子 52万5000     女子    48万6000
2003年 男子 57万5000     女子    53万5000
2004年 男子 60万2500     女子    56万0500
2005年 男子 63万        女子    60万
2006年    男子 65万5000     女子    62万5000
2007年 男女とも    70万
2008年 男女とも    75万
2009年 男女とも    85万
2010年 男女とも  100万
2011年    男女とも  110万
2012年 男女とも  115万
2013年 男女とも  160万
2014年 男女とも  176万
2015年 男女とも  188万
2016年 男女とも  200万

ちなみに、男女ダブルスの優勝者には、それぞれ35万ポンド、ミックスダブルスの優勝者には、それぞれ10万ポンドとなっているから、いかにシングルスの優勝が価値があるのかがわかる。

男女が同じ賞金額と言うのも、面白い。だって男子は5セットマッチ、女子は3セットマッチだから、精神と肉体の疲労度は男子のほうが高いはず。でも同じと言うのは、それだけ名誉のある戦いと言うことなのでしょう。

しかも、一回戦で敗退しても、3万ポンド(約450万円)もらえるのだから、それはもうう出るしかないと、皆ウインブルドンを目指すのですね。

テニスのメジャー大会の優勝賞金は、ゴルフのメジャーよりも高いことで有名。先月行われた、ゴルフのメジャー大会全米オープンの優勝賞金は180万ドルでした。それをはるかに上回る200万ポンドだから、驚愕の一言です。


今回のウインブルドンでも、面白い対戦がありました。なんとランク772位の選手で、今年はまだ3万円しか稼いでいないマーカス・ウィルスが一回戦を勝ち抜いて、二回戦でロジャー・フェデラーと対戦することになったのです。結果は惨敗でしたが、それでも第一セットが0-6、第二セットを3-6、第三セットは4-6と元世界王者のフェデラーから7ゲームもキープ、サービスエース9本を奪うなど健闘しました。

マーカス・ウィルスは、普段はテニスクラブでコーチをしているとのこと。今回のウインブルドンには、恋人に後押しされて出場を決意。予備予選から勝ち上がってきての一回戦突破であった。二回戦で敗れたものの、普段対決すらすることのないフェデラーと対戦し、しかも自分のゲームを7ゲームもキープしたのは凄いこと。
ちなみに賞金は約680万円、恋人になにかプレゼントするのでしょうね。

 

 

全英オープン2016 ウインブルドンの謎

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                            (画像転載:共同通信

ウインブルドンと言えば、テニスの全英オープン

このウインブルドンにまつわる謎を紹介します。
今回は、何故ウインブルドンだけが白いウエアでなければならないのか?について。

簡単に「大会規定だから」「テニスクラブの規定だから」と言ってしまえばそれまでですが、どうしてそうなったのかについてちょっと紹介しますと、

昔テニスは貴族のスポーツでした。彼らはテニスをする際、神聖なスポーツであると言うことから「白」い衣装でプレイしたのです。

そんなテニスというスポーツが、大会となった1884年の第一回ウインブルドン
この大会での初代女子シングルスの王者、モード・ワトソンが白のロングドレスでプレーしていたことが、ウインブルドンの規定の起源となっているそうです。

また、ウインブルドンの会場であるオールイングランド・ローンテニスアンドクローケークラブの規定が、ウエアは白を着用するというものでもあったため、相まってウインブルドンの規定になったのですね。

規定では、「ウエアとシューズの8割以上が白であること」とされています。
その規定に従ってか、テニスボールも1980年台半ばまで白だったそうです。覚えてないなぁ。

「白であれば文句はないでしょう?」と色が白でも奇抜なデザインで出場する選手もいましたが、2000年くらいまでは、結構デザインにも厳しかったようです。
最近では、7分丈パンツやノースリーブでもOKとやや緩くなってきましたね。

さて、今夜は錦織圭の二回戦です。相手はジュリアン・ベネトー、ノープロブレムの相手ですが、anyway,頑張れ錦織圭! ダニエル太郎は残念でした!

ウインブルドン 2016 始る もう一つの全英オープン

f:id:prosports:20160628130444p:plain(AP通信)

もう一つの全英オープンである、「ウインブルドン」が始った。テニスとゴルフともに見逃せないスポーツの夏がやってきた。

我らが錦織圭、初戦は難なく突破したのだが・・・。

 

● まずは、ウインブルドンの日程について。

6月27日(月) 男女シングル一回戦

6月28日(火) 男女シングル一回戦

6月29日(水) 男女シングル二回戦、ダブルス

6月30日(木) 男女シングル二回戦、ダブルス

7月01日(金) 男女シングル三回戦、ダブルス

7月02日(土) 男女シングル三回戦、ダブルス

7月03日(日) 休み

7月04日(月) 男女シングル四回戦、ダブルス

7月05日(火) 女子シングル準々決勝

7月06日(水) 男子シングル準々決勝

7月07日(木) 女子シングル準決勝、男子シングル準決勝

7月08日(金) 男子シングル準決勝、女子ダブルス準決勝、ミックスダブルス準決勝

7月09日(土) 女子シングル決勝、男子ダブルス決勝、ミックスダブルス決勝

7月10日(日) 男子シングル決勝、女子ダブルス決勝

(ダブルスは準決勝から掲載)

 

では、錦織圭のトーナメント対戦表はと言うと、相変わらずドロー運の悪い錦織圭でしょうか?
ベスト16で、あの全米オープン決勝で敗れた、マリン・チリッチ。ベスト8で超苦手なロジャー・フェデラー。ベスト4でノバク・ジョコビッチ。決勝がアンディー・マレー。皆順当に勝ち進めば、このような対戦となるでしょう。

 

錦織圭も、ベスト16までは問題なく勝ち進むでしょうが、チリッチ、フェデラージョコビッチ、マレーという壁を倒せるか。チリッチ以外は、ランキングが上だから、相当な戦いにあるかもしれませんが、上を倒してこその勝利を是非もぎとって欲しいですね。

 

頑張れ!圭!

 

トーナメント表は、こちらを

http://cdn.wowow.co.jp/sports/tennis/wimbledon2016/images/tournament_bord_m_s.gif

 

ちなみに女子はこちら

http://cdn.wowow.co.jp/sports/tennis/wimbledon2016/images/tournament_bord_w_s.gif

(転載:wowow Tennis Online)

 

● 放送は、WOWOWでは随時ライブ放送されます。NHKでは、6月28日から7月9日まだ毎日午前0:10から午前4:20までと、7月9日(土)の午後10時から女子決勝と

7月10日(日)の午後10時からEテレで男子決勝の放送予定です。

 

7月は、スポーツの「全英」づくし、見逃せませんね。

全英オープンゴルフ 2016 カーヌスティの悲劇

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いよいよ、開催まで3週間を切りました全英オープンゴルフ。
いま、イギリスは大変なことになっていますよね。EUからの離脱で株価は世界的に大幅下落、為替も円高でこの先でどうなるのでしょうか?

イギリス自体もキャメロン首相の辞任表明で、混乱は免れません。

全世界の経済のとって悲劇の中での全英オープンゴルフですが、全英オープンの悲劇と言えば、忘れられない「カーヌスティの悲劇」ではないでしょうか。

1999年に開催された全英オープンの舞台は、カーヌスティ。三日目を終了して、トップになったのはフランスのジャン・バンデベルデ。二位に3打差をつけて17番ホールを終了。誰もが、このフランス人の優勝を期待していたし、間違いないと確信していた。

ジャン・バンデベルデは、下馬評にもなくヨーロッパツアーで一勝しただけの無名の選手。しかもマンデートーナメントを勝ち抜いて本戦出場を果たした選手であった。フランス人ゴルファーは珍しく、全英オープンでは1907年にアーノード・マッシーが優勝して以来の快挙となるため、フランス人にとっては最高の瞬間でもあった。
というのも、予選と三日目のプレーが、長いパットを決めたり、抜群のバンカーショットだったり、トラブルになっても奇跡的なリカバリーでパーを取るなど、まさに神がかりだったのである。

そして、最終日に二位に5打差をつけてスタートしたバンデベルデ。ここから悲劇が始った。最終日のスコアは以下の通り。

 1番 パー
 2番 ボギー
 3番 ボギー
 4番 パー
 5番 パー
 6番 パー
 7番 パー
 8番 ボギー
 9番 バーディー
10番 バーディー
11番 パー
12番 ボギー
13番 パー
14番 バーディー
15番 パー
16番 パー
17番 パー

ココまで見ると、なんの変哲もないスコア、まして最終日最終組の全英オープンならごくごく自然のスコアだった。
三日目に最高のスコアを出し二位に食い込んできたクレイグ・バリーも8番で首位に並ぶ勢い、11番では単独トップになるほどだったが、12番でなんとトリプルボギー。続く13番でもボギーを打つと、たった2ホールで首位戦線から脱落した。
二位争いをしていたジャスティン・レナ-ドは、この時静かに静かに機会をうかがっていた。すっとパーでしのいできたレナードは14番でバーディーを決めて、ついにトップに並んだ。この時、バンデベルデは13番終了時。続く14番バンデベルデがバーディー、レナードが15番でボギー。
二位以下が首位に立ったかと思うと崩れて後退する、まさにバンデベルデの優勝への脇役を演じているようだった。
青木功プロが解説していた当時の中継を見ていても、バンデベルデの神がかり的な優勝への道をとくとくと解説していた。

そして迎えた18番パー4。二位に3打差をつけているのでこのホールはダブルボギーでも優勝のはずだった。
18番は、ボギーであがるのは簡単なホール、バリーバーンという小川がグリーンの前を流れるため、無理に2オンを狙うとここにはまる危険があるホール。だが、手前に刻むなら確実に3オンできるし、パーだって十分狙えるホール攻略法だった。
バンデベルデの第一打は、大きく右に曲げる。が短いラフに止まるラッキー。ここでも神がかりだと思えるほど。誰もが二打目は刻むだろうと思っていたが、バンデベルデは第二打で無謀にも直接グリーンを狙う。再び大きく右へ曲げると、ギャラリースタンドの壁に当たって跳ね返り、ボールは深いラフに。思い返せばここが運命の分かれ目だったのだろう。刻んでグリーン前のバリーバーンの手前に落とすことなら、難なくできたはずだった。そこをさせなかったのも、メジャーと言う大会に存在する神と悪魔の仕業なのか。
そして第三打、深いラフから打った球は無常にもバリーバーンに捕まることになる。万事急須!誰もがドロップするかと思った瞬間、バンデベルデは川に入ってウオーターショットを試みようとしたではないか。
しかし、その瞬間ボールが水の流れでさらに沈んだため、諦めてドロップし、第五打目を打つも、今度はバリーバーンを越えたがグリーン周りのバンカーへ。
くしくも同じ組で回っていたクレイグ・バリーが同じバンカーから先に打ったバンカーショットがチップインする。ここで解説の青木功プロが、「このバンカーショットが欲しい」とバンデベルデを応援するほど、もう誰もがバンデベルデを応援していただろう。第六打のバンカーショットは、ピン約1.5mに。つい先ほどまで優勝確実だったのが、外せば二位、入れてプレイオフという精神限界のところまで追い込まれるも、第7打をねじ込んで、トリプルボギーでプレイオフに。

18番 トリプルボギー

レイオフは、ジャン・バンデベルデ、ジャスティン・レナード、ポール・ローリーの3人で、15番から18番までのストロークプレイでの争いとなった。結果は、バンデベルデ+3、ローリーEVEN、レナード+3で、ポール・ローリーの逆転優勝となったのだ。

というのが、カーヌスティの悲劇として語られている、ジャン・バンデベルデの物語。

実はこの大会では、ポール・ローリーもまたマンデートーナメントを勝ち抜いてきた無名の選手だった。三日目を終えて首位と10打差という、まさに優勝など狙える位置でもなんでもない選手だった。しかし最終日に爆発して+6で上がり後続を待つことに。上位選手が少しずつスコアを落とすと、棚ボタのプレイオフで優勝!
だけど、早い組で回っていたため、しかも無名選手であったため、放送でもその姿がほとんど映し出されずに、プレイオフで初めてしっかりと見たくらい。これもまた神のいたずらなのだろうか、メジャーと言う「何か」なのだろうか。

(画像転載:AFP/GERRY PENNY)

 

全英オープンゴルフ 2016 プレイオフ

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3週間後に迫った全英オープンゴルフ2016。今年も暑い夏とともに熱い戦いがやってきますね。楽しみです。

昨年はプレイオフの末、ジャック・ジョンソンがセント・アンドルーズで優勝したのですが、メジャー大会の中でもプレイオフが多いのもこの全英オープンなんですね。全部で18回もプレイオフで優勝が決まっております。

全英オープンのプレイオフは、マスターズや全米オープンのように次の日に18ホール行われるのではなく、15番から4ホールでののストロークプレイでの決着となります。

その歴史を紐解いてみると、

1882年 ロバート・ファーガン  セント・アンドルーズ
1889年 ウィリー・パークJr  マッセルバーフリンクス
1896年 ハリー・バードン    ミュアフィールド
1911年 ハリー・バードン    ロイヤルセントジョージズ
1921年 ジャック・ハッチソン  セント・アンドルーズ
1933年 デニー・シュート    セント・アンドルーズ
1958年 ピーター・トムソン   ロイヤルリザム&セントアンズ
1963年 ボブ・チャールズ    ロイヤルリザム&セントアンズ
1970年 ジャック・ニクラウス  セント・アンドルーズ
1975年 トム・ワトソン     カーヌスティ
1989年 マーク・カルカベッキア ロイヤルトゥルーン
1995年 ジョン・デイリー    セント・アンドルーズ
1998年 マーク・オメーラ    ロイヤルパークデール
1999年 ポール・ローリー    カーヌスティ
2002年 アーニー・エルス    ミュアフィールド
2007年 バドレイグ・ハリントン カーヌスティ
2009年 スチュワート・シンク  ターンベリー
2015年 ジャック・ジョンソン  セント・アンドルーズ

このように、18回中6回がセント・アンドルーズでのプレイオフとなっています。ジャック・ニクラウスが二度目の全英オープンを制したのもセント・アンドルーズですが、その時もプレイオフでダグ・サンダースを破っての優勝でした。

さて、プレイオフと言えば、全英オープンには語りつくせない悲劇があります。
それは、「カーヌスティの悲劇」として語り継がれています。実際の優勝者よりも悲劇のヒーローの方の名を我々は忘れない。

次回は、そのカーヌスティーの悲劇についてお話したいと思います。
(画像転載:田辺安啓/GDO)

全英オープンゴルフ 2016 優勝者

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全英オープン 2016 が3週間後に迫りました。今年は日本人選手も数多く出場しますが、是非頑張ってもらいたいものです。松山英樹谷口徹には全米オープンの屈辱を果たしてもらいたいですね。

さて、全英オープンの優勝者の下馬評は早くも、ダスティン・ジョンソンの名前を挙げていますが、さてさてどうなるか?

 

で、この歴史ある全英オープンの第一回の優勝者はウィリー・パーク、第二回の優勝者はトム・モリスSrというゴルファーでした。このトム・モリスSrはどうゆう人かというと、セント・アンドルーズのグリーンキーパーを勤めていた人。

当時のゴルフコースのグリーンのカップは、土に穴を掘ってホールにしていただけ。それではすぐに崩れていくため、ホールの大きさがドンドン大きくなっていく。後から来た選手のほうが穴が大きくなっていて、入り安かったりして・・・。そのとき、この
トム・モリスSrが、倉庫にあるパイプを持ってきて、短く切ってホールに埋めたところピッタリとはまったそうです。そのサイズが108mmでその後のカップの大きさとなって現在に引き継がれました。

 

このトム・モリスSrは、コース設計家としても有能で、全英オープン開催コースの一つである「ミュアフィールド」をデザインしました。ミュア・フィールドと言えば、帝王ジャック・ニクラウスが惚れ込んだコース。自身も最初の全英オープンを制したコースですが、アメリカに自分でミュアフィールド・ゴルフビレッジを作ってしまうほど。

 

さて、1860年の第一回から1872年の第十二回大会まで(1871年は中止)ウイリー・パークとトム・モリスSr、そしてトム・モリスSrの息子のトム・モリスJrで優勝を分け合っていました。開催コースは全てプレストウィックゴルフクラブ。

今回の画像は、プレストウィックで決めてみました。

(画像:The Old Course Experience)

 

 

全英オープンゴルフ 2016 3つの全英オープンが始る

 

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全米オープンが終わると次は全英オープンの季節。7月には、3つの全英オープンが開催される。本戦は順番に、7月14日~17日全英オープン。7月21日~24日全英シニアオープン、7月28日~31日リコー全英女子オープンと3週連続での開催となる。

今回は、各大会について横道から紹介しよう。

まずは、全英オープン
世界最古の選手権、今年で145回目を迎える。開催地は、ロイヤル・トゥルーンゴルフクラブ。9回目の開催コースとなる。

全英オープンというかイギリスやスコットランドのゴルフコースというのは、基本的にリンクスで、つまり海岸沿いにあり、強風と湿った雨という印象が強い。(そればかりでもないらしいが、内陸のゴルフコースは見たことがない)
全英オープンの場合、いくつかのコースを持ち回りで数年後とに開催されている。そこにたまに新しいコースが入ってきて、いいと持ち回りに加わる感じでコースが決定されていく。
中でも、聖地と呼ばれる、セント・アンドルーズ・オールドコースは、1990年以降5年おきに開催されることが決まっている。

戦後の全英オープンを制したプロで優勝回数が最も多いのが、トム・ワトソンとピーター・トムソンの5回。ついで、ボビー・ロックの4回、ジャック・ニクラウス、ゲーリー・プレイヤー、セベ・バレステロス、ニック・ファルド、そしてタイガー・ウッズの3回となる。

中でもセント・アンドルーズを2度制したのは、ジャック・ニクラウスタイガー・ウッズの2人だけ。
で、このセント・アンドルーズの話に戻るのだが、2005年の大会は、本来セント・アンドルーズでの開催ではなかった。2006年の予定であったのだが、この年の全英オープン引退試合ジャック・ニクラウスが声明を出したため、急遽1年前倒しでセント・アンドルーズでの開催となったという名誉な出来事があった。さすがは帝王ジャック・ニクラウス。ちなみにこの年の優勝者がタイガー・ウッズだった。タイガー・ウッズは、セント・アンドルーズでの開催を2回連続で制した大会となった。

次に、全英シニアオープン。
全英シニアオープンは、1987年にレギュラーツアーの一つとして開催され、2003年にメジャー大会に昇格した大会。メジャー以前井はゲーリー・プレイヤーが3回、メジャーになってからトム・ワトソンが3回制している。全英シニアオープンは、トム・ワトソンにとっては、切っても切れない関係にある。彼が持つ最年長予選突破記録を64歳まで更新したのだ。

では日本人選手の活躍はどうかというと、メジャー大会に昇格するまえの2002年大会で、須貝昇が優勝しているのだ。翌年メジャーになりトム・ワトソンが優勝しているのだから、「何にも言えねー」としか言いようがない。

最後にリコー全英女子オープン。
この大会も、3つの歴史を持っている。初回開催は、1976年。LPGA(米国の女子プロゴルフ競技団体)のツアー認定になる前で、1993年まで開催。1994年から2000年までLPGAの認定競技となり、2001年からはメジャーに昇格している。
1987年から2006年までは、ウィータビックスというシリアルメーカーがスポンサーであったため、ウィータビックス全英女子オープンという名称であったが、2007年以降はスポンサーが情報機器メーカーのリコーに替わったため、リコー全英女子オープンという名称になった。

日本人のメジャー大会制覇といえば、正式には1977年の樋口久子の全米女子プロゴルフ選手権だけとなっているが、岡本綾子が、1984年にこの全英女子オープンを制しているし、2013年からメジャーとなった女子のエビアン・マスターズは、宮里藍が2度、小林浩美が1度制している。

当時はメジャーではなかったものの、メジャー大会クラスの大会を日本人も制しているということに、誇りをもてる。

さて、今年はそれぞれどんな大会になるのか、楽しみですね。

(画像転載:内田眞樹/GDO、2015年の全英オープンから)

 

全米オープンゴルフ 2016 またもや惨事のダスティン・ジョンソン

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世界の最高峰、全米オープンゴルフはダスティン・ジョンソンの優勝で幕を閉じた。
ダスティン・ジョンソンにとってこの優勝は昨年のリベンジ。2年間続いた全米オープンをやっとものにしたというところだろう。

昨年は、最終十八番で2オンしていながら痛恨のパーで優勝を逃す。
今年は、第三ラウンドを終えた時点では、首位とは4打差の2位。
最終日は他の選手が伸びずに少ずつ少しずつスコアを落とす。首位のショーン・ローリーは、第三ラウンドの-5とは打って変わっての+6で後退。
結果、一つだけスコアを伸ばしたのが優勝したダスティン・ジョンソンだった。

とはいえ、今年の全米オープンも珍事が起きた。これは後で問題になるかもしれない。

昨年は、コース自体が最悪だった。これは誰もが認める歴史上最悪の全米オープンゴルフになった。

今年は最終日にそれは起った。5番でダスティン・ジョンソンがパターを打とうと構えたときにボールが動いたのだ。5番の時点では、無罰の裁定が下ったが、別の競技委員が確認したところ、「動いた原因が不明のため終了後に確認する」という判定を12番で本人に通告。結局、最終的に1打罰判定が、プレー終了後に下り、一打罰則を受けることになった。

2位との差が開いていたので、結果的には1打罰則を受けても順位の変動がなく、優勝は優勝なのだが、これはメンタル面にかなり影響する問題だ。

仮に、これが昨年のことだったら、スコアに差がなかったために、相当の問題となっただろう。

また、競技しているほうも、たまったもんじゃない。おれ無罰なのかよそれとも一打罰なのかよと考えながらプレーするのは、まして優勝争いをしていたら、スコアにかなり影響するだろう。よほどメンタルが強くないと一気に崩れかねない。

まあ、そんな惨事でも耐え抜いて栄冠を掴んだダスティン・ジョンソンには賛辞を述べるしかないだろう。二年越しの優勝おめでとう。

ちなみに、日本勢は、宮里優作が+7で23位タイ、谷原秀人は+12で51位タイだった。

来年の全米オープンゴルフは、ウイスコンシン州エリンヒルズで開催される。エリンヒルズはパブリックのコースで、昨年とおなじ初開催のコースとなる。コースにデータがないのでまだなんとも言えないが、昨年のような酷いコース状況にはならないことを望んでいる。

さて、次回からは全英オープンと、リコー全英女子オープンの裏顔に迫ります。

(画像転載:田辺安啓/GDO)